結晶によるビーム操作

私たちは高エネルギー加速器研究機構との共同で、結晶内の局所的に強い結晶場を積極的に使った荷電粒子ビーム操作の研究を進めています。キーワードになるのは、高速な荷電粒子と結晶との相互作用でみられるチャネリングという現象です。このチャネリングという現象を上手く使うと、結晶軸に向けた方向に荷電粒子ビームを偏向させたり、一部を分岐させたりすることが可能になります。このビーム操作に大がかりな電磁石などは必要ありません。結晶によるビームの操作の応用として、茨城県東海村にある大強度陽子加速器(J-PARC)の遅い取り出しビームラインでのビーム分岐への応用や、国際線形加速器(International Linear Collider)でのビームコリメータへの応用が検討されています。

チャネリングとは。。。

荷電粒子が結晶内の局所的な結晶場によって、結晶軸、あるいは結晶面の間に束縛され、ある特定方向にのみ進行する現象です。通常、荷電粒子は物質内の原子核とのクーロン散乱を何回も起こし、進行方向とは異なる方向にランダムに散乱されます。チャネリング現象が起こると、荷電粒子ビームは結晶軸や結晶面間に束縛されるため、全く異なる方向に散乱されるビーム強度をかなり低く抑えることができます。

上記の図は荷電粒子がチャネリング現象によって束縛されて進行する様子を示します。+の電荷を持つ荷電粒子は結晶面の間を、-の電荷を持つ荷電粒子は結晶軸に束縛されて進行します。荷電粒子は光速に近いほど物質中の原子核とのクーロン散乱の影響を受けにくいため束縛を維持しやすくなりますが、逆に結晶への入射時、荷電粒子の進行方向が結晶軸あるいは結晶面に対してかなり平行に近い状態にならないと結晶場によるポテンシャルにうまく束縛されません。この入射時の進行方向と結晶軸あるいは結晶面とのなす角度において、荷電粒子が束縛される最大角度のことをリンハード角と呼んでいます。荷電粒子のエネルギーが高くなるほどリンハード角は小さくなります。

チャネリングによるビーム偏向

荷電粒子のチャネリング現象を利用して、荷電粒子ビームを偏向させることができます。チャネリングは、結晶軸あるいは結晶面の間に束縛されることですから、結晶が湾曲している場合、あるいはビーム入射方向に対して結晶が斜めに配置されている場合は、結晶軸や結晶面にそって軌道が曲げられることになります。通常の偏向は電磁石を使って偏向操作をしますが、結晶の場合は結晶の特性と湾曲結晶の曲がり角、あるいは結晶軸とビーム軸とのなす角で操作をすることが可能です。結晶場は局所的に非常に強く、同じ条件での電磁石と比べると約130[T]の磁場に相当します。

上記の図は、曲がった結晶面に+の電荷を持つ荷電粒子が入射した場合を示します。結晶面が曲がっていますが、荷電粒子は結晶面の間に束縛されて進むので、”deflection angle"(偏向角)の分だけ曲げられることになります。

上記の場合は-の電荷をもつ荷電粒子の場合を示したものですが、湾曲結晶ではありません。荷電粒子は結晶軸、あるいは結晶面の間に束縛されて進行するので、結晶のポテンシャルにうまく束縛できれば、結晶軸(あるいは結晶面)を斜めに配置するだけで"deflection angle"(偏光角)の分だけ曲げられます。

陽子ビームの偏向実験

2006年から2007年に行われた高エネルギー加速器研究機構の12GeV陽子シンクロトロンでのテスト実験の結果を示します。

左の図が実験セットアップの概念図です。結晶は湾曲したシリコン結晶を用いました。結晶のビーム軸方向の断面積は0.3[mm^2]である一方、メインのビームは直径4[cm]程度の大きさを持っているので、結晶に入射した一部のビームが偏向されて、メインのビームと分岐します。二つのビームを下流に設置した蛍光板にあてて光ったスポットを観測しました。右の図がその蛍光板のスポットの様子です。真ん中が偏向を受けないメインのビーム、左に見える小さなスポットが偏向したビームを示します。このイメージ像を解析した結果、結晶によるビーム偏向の効率は20%程度であることがわかりました。この結果はシミュレーション結果とも一致しており、我々の偏向制御が予想通り実現できていることが確認できました。

電子ビームの偏向実験

2004年から2005年にかけて行われた広島大学ベンチャービジネスラボラトリーの150MeV高速電子周回装置を使ったテスト実験の結果を示します。

               左の図が実験セットアップの概念図です。結晶は厚み16[μm]のまっすぐなシリコン結晶を用いました。結晶軸とビーム軸をまずは平行にしておき、結晶の下流に、ビームスポットが観測できる蛍光板(シンチレータ付きのファイバーオプティクス板)を設置しました。結晶軸とビーム軸とのなす角度θ[mrad]を変えていくと、電子ビームが結晶で偏向されるため、蛍光板上のビームスポットの中心が左右に動きます。動いた距離を測定すれば、偏向角が求まることになります。右の図は横軸をθ[mrad]、縦軸を測定された偏向角[mrad]としたときのグラフです。このグラフから、確かに結晶軸とビーム軸の角度によって、ビームが偏向される様子がわかります。ただしこの結果は定性的には実験結果を説明しますが、定量的には予想と一致していない箇所があり、原因は特定されていません。電子ビームのチャネリング現象に関しては定性的な理解にとどまっており、定量的な研究はまだまだ不十分です。ビームを制御するには、定量的な予測ができる段階まで理解を深める必要があります。今後の研究が期待されます。

実用に向けて。。。

陽子ビームに関しては定量的な予測ができるので、実際の加速器やビームラインに応用するための技術的研究を進める段階にあると言えます。現在はJ-PARCの遅い取り出しビームでのビーム分岐への応用が検討されていますが、大きな技術的ハードルはビーム制御に適した湾曲結晶の実現です。現在は、実用に耐えうる湾曲結晶の実現に向けて、高エネルギー加速器研究機構、シャランインスツルメンツ株式会社との共同で研究を進めています。

電子ビームに関しては、まだまだ基礎研究の段階にあり、定量的予測がやりやすい実験条件下での実験が必要です。また、現在でもまっすぐな結晶を使った研究にとどまっており、湾曲結晶を用いた実験的研究も必要になります。これらの段階を経て定量的な理解が深まれば、実用に向けた技術的研究に進めることができます。

関連論文

1)  S. Strokov, V. Biryukov, Yu. Chesnokov, I. Endo, M. Iinuma, H. Kuroiwa, T. Ohnishi, H. Sato, S. Sawada, T. Takahashi, and K. Ueda,

     Steering beam of charged particles using silicon crystals,

     Journal of the Physical Society of Japan, Vol. 76, No. 6, 064007, (2007)

2)  飯沼昌隆、澤田真也、ストロコフ・セルゲイ、高橋徹、

結晶による粒子ビームの操作

加速器 Vol. 3, No. 4, 354-363, (2006)

3)  S. Strokov, T. Takahashi, I. Endo, M. Iinuma, K. Ueda, H. Kuroiwa, T. Ohnishi, and S. Sawada,

     Electron beam deflection with channeling in a silicon crystal at the REFFER electron ring,

     Nuclear Instruments and Methods in Physical Research, Section B: Beam Interactions with Materials and Atoms,

     Vol. 252, No. 1, 16-19, (2006)